Archive for April, 2010
この世界の生き物たち
動物の”本能”というのは、自分の子供を守るために自分の命を捨てられるようなことだ。この世界の妙に対して、私たちの感想は常に”創造の神は偉い”に止まっている。
卵をかえすために命を捨てれる、自分の体温を上がってコブラ。まゆから出た毛虫は、綺麗な蝶になる。この世界には、人間に発見され、名づけられた生物は1千万種ぐらい、その他1千万種の生物ははまだ発見されなくて名づけられない。
人間は、自分を生まれ育た世界を破壊し、この世界のすべては当然なものにして、大切にしていない。<WALL E>という映画を見た時、宇宙船の中に緑の芽を見たとき、涙が止まらなく出てきた。私は、この世界の妙を思って、毛虫が蝶になると言う必要がない、一つの種から芽が出てきて、大木になるのは、奇跡ではないか?
何百年の後、今の生物たちはほぼ絶滅した地球に住んでいる人間は、どう思うか?WALL Eの人たちのような、地球を元に戻したくなるかな?
この世界には、常に私を感動させるこのの一つは、地球の妙って、もう一つは創造の神さまの愛だ。
我想起了《WALL E》.几百年后的人们,会不会因为看到绿苗而觉得惊奇感动?会不会像要挽回这个星球及上面的生物?
在这世界上,常能感动我的东西有两样,一是创造的奇妙,然后是创造之主的爱。
“有一位神”
有一位神
有权能创造宇宙万物
也有温柔双手安慰受伤灵魂
有一位神
有权柄审判一切罪恶
也有慈悲体贴人的软弱
有一位神 我们的神
唯一的神 名叫耶和华
有权威荣光 有恩典慈爱
是昔在今在永在的神
有一位神
有权能创造宇宙万物
也有温柔双手安慰受伤灵魂
有一位神
高坐在荣耀的宝座
却死在十架挽救人堕落
お好み焼き
仕事を終わって電車で帰ったとき、寮で住んでいる二人の友達と出会った。二人はお好み焼きの店に行くところ、わたしもその行列に入った。自分でお好み焼きを作る店に行って、”作る方法”という種類で書いたとおりにお好み焼きを作って、思わず”この頃、一食を食べるのもそんな簡単なものではないな”という辛い感想をした。前焼肉店で焼肉を作っていたときも、同じ文句を言った。どう思っても、”お金を払って、自分に迷惑をかける”ということが理解できない。(焼肉店で買った豚カルビを焼いていたとき、油を落ちって、炎を燃え上がった。)
やはり、上野公園で食べた500円のお好み焼きは最高。
IPOD TOUCHを買いたい-v-
給料をもらったために、最近IPOD TOUCHを買いつもり。今日LABIに行った。照明が強くて、鏡が多くて、まるで解剖室ような雰囲気にした(-_-)。二階のIPOD TOUCHを見ったら、”見た目が綺麗だ”という感想を出てきた。元々ITOUCHを買わない友達は、かえって色々な機能を調べた。友達は”あなたは?見ない?”私は頭を振って”買うと決めたら、直接買うから”。私は昔から、ディジタル製品を買うために調査を行いたくないタイプだった。新しいパソコンを買いたかったときも、IT分野を携わっている友達を頼んで、私にパソコンを選んだ。私は、新しい技術を使われるディジタル製品を求める人間ではなく、新しい機能が付いていってもなかなか使わなくない。そのために、新しい携帯を買って、使っている機能はメールと電話するしかない。一方、友達に簡単に影響される。TOUCHを買いたかった理由は、昔の友達が一台持っているだけだ。偶々私もTOUCHのゲームをしたり、本を読んだりした。ゲームが結構面白いと思って、音楽を聴けるのもいいし、その他TOUCHを求める理由はない。ディジタル製品を求めるのは面倒と思うから、すごく人気がある及び見た目がいいAPPLEの製品を買ったらいいという無責任な思いが強い。
午後、政治の授業に受けた。その授業を受けていないが、教室が大きいから、先生に問題を聞かれなくて聞く能力を訓練できるといい。最初一生懸命にメモをしても、すぐぼんやりしていた。先生は早口で、発音を聞き難い。でも、優しい先生と思う。。
7月に日本語能力試験1級のテストを受ける予定がある。最近一級対策の授業を受けて、色々な練習をしている。練習すれば練習するほど試験を合格できる自信が減っている。32問の中で15問も間違っている状況は、実に楽観的ではない。-_-;;
がっかりしている
勇気
教会である女の子とであった、とても朗らか、楽しい子と思う。彼女は、私の名前を聞き、”私の目がよくないから、声によって人を覚える”と教えられた。その後、この女の子との私的な会話をし、彼女の状況はよく分かってきた。彼女は、数年前からある病気に罹って、視力はだんだん悪くなって、左目はもう失明してしまった。そのあと、右目も悪くなって、ある日も失明となるということだ。病院に行くと、この病気を治される可能性がないち言われてしまった。彼女は自分の状況を言って、顔にずーと笑顔を浮かべていた。私は彼女をじっと見て、”こんな酷い目を遭って、どうしてそんな平気に伝われる?”と聞いた。彼女は:”私は元々ポジチブな人だから!”と答え、子供たちと一緒に遊び始めた。その後、私はずっとこの子のことを思っていた。もしその病気に罹ったのは私だったら、彼女のように笑顔をできるか?どう考えても受け入れられない。視力を失うを言うまでもなく、髪を失ったらも死にたいとなるかもしれない。一方、聞こえる見える平凡人としての幸いを感じれた。私たちは、いつも満たせない欲望が持っていて、色々なものが求めている。しかしこの女の子は、健全の私より不幸な人生を送っていて、私より朗らかな人になった。
私たちは、困難を直面する勇気がある?どう難しい状態にいっても、自分より苦しい人がたくさんいる。他の人の苦しさは自分の楽しくなるわけではなく、自分があることは大切にするのは、楽しくなれる鍵ではないか?今まで出会った苦しい人は、常に自分が持っていないものに注目している。かえって私たちから考えた貧乏な人たちは、家族と仲良くて、楽しそうな人生が送っている。”幸せ”という心理状態は、本当に人が物事について考え方によって生まれることというものだね。
ある掲示板で、”人間が生きている理由は一体なに?”という質問が出てきた。とても印象深い返事の一つは:朝陽光を見えて、自分は生きていると気づける。自分の家族や、友達と共に新しい日と迎えるのは、生きている人だけが感じれる幸いではないか。
饶恕人是对自己的解放。饶恕和原谅,并不是教条,而是完完全全得为了我们及我们所恨得那个人。神怎样造你,也必用最对你有利的方式赐你处世的话语。神不需要中庸,也不需要妥协,因为他不害怕什么。
毎日も日記を書く
昔羨ましていた人は、頭がいい人或いはある分野においてとても才能がある人。
今から見ると、人間が持てる最高のは、”根性”というもの。
私は小さいから様々な技能を学ぶのは好き。音楽、美術と文学において分野の知識がとても興味深い。大学から、興味がある分野はさらに広かれて、語学、プログラミング、経済についても勉強した。社交のために踊りを習って、そのまま踊りのことも好きになった。常に他の人から”できることはたくさんある”という褒め言葉をもらったが、自分の知識は浅いとよくしている。なぜなら、私は
”根性がない”な人。新しい知識が求めたいが、深くレベルに絶対に行かない。
小さいから今までやり続けることは絵を描くことだけだ。10年前から自分のウェブサイトを作って、作品或いは文章を展示してきた、最初の一ヶ月は、毎日も更新している。そのあと、更新の回数はしだいに少なくなって、最後全然更新しなくなってしまう。それだけではなく、ウェブサイトの見た目は感嘆に厭きれて、常に主題と色のシムを変えている。
それに対して、何十年も地味地味に自分のウェブサイトを更新している人がたくさんいる。すごく平凡なことだが、そんな長い時間に同じことをやり続ける精神はすごいと思う。
優秀な人
今まで出会った所謂”優秀な人”たちは、案外ない以下の特徴を持っている
1.すごく真面目な顔。見た目は”依頼できる”人、出した写真は、”旅行”について写真、或いはXX受賞現場の写真。
2.外国で勉強して或いは働いている。語学についてすごく興味深い。外国語二問以上うまく運用できて、英語は必要、スペインご或いはフランスもできれば方が多い。
3・常に”中身は大事”と言っているが、実は恋に落ちるの相手はすべて美人だ。もちろん、普通な美人ではなく、芸術または文学について分野に知識豊富の女性と恋に落ちる可能性が高い。
4.誰と恋に落ちたら、真面目過ぎって(17歳ときでも、結婚の問題を計画しているとか。。)、相手に分けられた場合も多い。
5.常に”人生の中に、あなただけ愛していく”と言って、実は簡単に変えられる。
6.”自分より優秀な、人気がある女性”に簡単に惚れられて、性格がまったく合わなくても、その女性と付き合いたい。好きな女の子と付き合えるために、どんなこともする。ほぼ状況は、自分にとって”ロマンチック”のことをして(例えば、バラを送ったり、自分で何を作って送ったり、”天気が寒くなった、風を引かないように気を付けて”というメールを送ったりとか)。
つまり、自分は優秀な人だから、相手も優秀の女性しなければならない。性格と信念の相応しさより、相手の顔、人気と芸術の素養の方がもっと大事なこと。自分にとって”ロマンチック”な行動がよくしていて、本音は”私は完璧な人だから、相手も完璧しなきゃ、相手との愛情も完璧しなきゃ”という意識が強い。とりあえず自分自身の”完璧の愛情”を実現するために色々な努力をしている。
優秀な人は、実は優秀な人だ。しかし、25歳までの時間は全部勉強に入って、25歳になっても、愛情について意識はまだ15歳に止まっている。まだ”王子様とお姫様の恋の物語”ということを考えているともうものだ。
”あなたの結婚相手は、誰でもいいと”いうものだ。優秀な人の愛情は、常に相手の性格と好みを考えず、自分の完璧さを実現できればいい。
完美的人
很多在别人看来光鲜优秀的人,总是试图树立自己“专一,浪漫,无论哪方面都一点不缺”的高贵形象。认为自己所作的任何选择都应该与自己光鲜而优秀的外表及内在相符,以至于在很多方面都有近似与”白雪公主和王子永远在一起“程度的执着。所谓的优秀一族虽然会说“外表比内心重要”“其实我并不怎么喜欢看美女”,但他们所追求的却肯定是无论外表内在都比他们更光鲜,更受欢迎的女人。即使如此他们还能一遍遍得写各种用词古旧的情书,倾诉者对于那个人的喜爱完全是因为对方的内在而非外表。假如他可以再不负责任一点,则会提到“即使你瘫痪了,没有了手和脚,对我来说依旧是最完美的人”。我最不愿意相信的话的其中一句就是:无论你变成什么样子,我都将一如既往得爱你。对于某些因不确定因素过多而导致自己没有办法控制的情感上的改变,与其讲大话,还不如实话实说“我也不确定以后会如何”。(当然女人有时候出于撒娇性质会要求男人讲此类台词)。所谓“优秀”的人,常会不顾着对方的喜好,纯粹以自己所认为的“浪漫爱情”为基准,来送礼,说话和约会。当他们在网上发现了某个照片看上去不错,又有几分思想的女人,就会顿时失去所有对于网络所应该抱有的怀疑心理,甚至可以每天一篇日志得去追求那个人。用上诸多美好的词藻,常说的台词是“我觉得你是个很有思想的人”。其实他们真正需要的只是一个优秀的可以撑起他们虚荣心的女人,和一个让别人觉得和他相配(或者认为他眼光很不错)的妻子,性格上及人生目标上的差距根本不会去考虑。
他所希望成就的,只是如他自己一样完美而光鲜的肥皂剧爱情。对于那段爱情的对象是谁,其实并不重要。
假如你被算计了
《白夜行》里描写到的雪穗的大学时期暗恋对象,和雪穗的好朋友,及雪穗的第一任丈夫和丈夫暗恋多时的女N号,故事的最后他们或许依旧不明白自己的完美爱情是怎么被算计以至于失败的,而单纯把那场悲剧和那个决定命运的错开当作“运气不好”或者“没有缘分”的话,当他们知道这一切都有雪穗和亮全盘导演,并且巧妙到连他们自己也从没想过是被”算计“了的时候,他们会露出怎样恍然大悟的神情以至于晚上睡不着觉?其实你的生命中好像有很多可以归咎给缘分和巧合的事情,但假如那些事情都是被人计划好,并且用你根本不会想到的巧妙方式去实行的?
假如,和你结婚的人和你偶然相遇很久很久之前就知道了你其实是个牙医,每年有多少的收入,她通过多种渠道从你朋友那边打听到了你的喜好和出没场所,她在和你偶然相遇之后,闲聊几句便让你觉得她就是你”一直在寻找的人”,这样的话,你会不会惊讶到睡不着觉?最要命的是,你会觉得很爱她,还是很怕她?
地震と献金
幸い
人生の中には、ただ一人が私たちの言うことを聞いてくれれば、幸いと思う。
地震のためになくなった人たちは、神が知っている数は何なかと思って、悲しくなった。
中国の大勢の人々は、神の存在を知らず(或いは認めない)、それだけではなく、信仰が持っていない人たちは、キリスト信仰のスプレッドを止めるために、努力している。もし、この人たちは、自分自身でちゃんと生きていくと思って、”他の人も神というものがいらない”と思い込んだた、どんな独裁的な思いだろう!
地震
地震のために献金した芸能人たちは、常に“200万元を献金した”と書いていた大きい看板を持って、記者の前に笑っていって写真を撮られる。そうしないと、ある人たちは“どうしてこの芸能人が全然献金しなかった”という非難を出てくる。献金するといい、しないといい、人々自分自身の選択ではないか?芸能人は“お金持ち”と思われて、そのために大きい金額を出なきゃ“という期待を与える。もともと受難者に関心を持っているために献金した、写真を撮られて、”XXX芸能人はXX百万を献金した“という記事に出た直後、その良い行為が”良い人に見られて“のためにしたものになってしまった。
お祈りを捧げて!
基督的信仰之所以能够碰触到我心灵的最深处,是因为在神的里面我没有发现任何表面的或者伪善的成分。
尾久駅の景色はとても美しい、カメラを寮に忘れてしまって、写真を取れなかった。
今日教会に行って、病気を治される奇跡について説教を聴いた。私たちは、神様の能力を信じらず、自分自身の或いは他の人の病気にお祈りを捧げなくて、”ふちの病をもらって、仕方ない”という思いを持って放棄してしまう。実はどんな病気でも、神にとっては治し難くない。
奇跡が起こらなくても、その信仰を変わらない。キリストの信仰は単純に”もっといい人生を送れる”というものではなく、と信じている。それは多分キリスト教と他の宗教の一番大きい見分けである。私たちは、常に”お金がかからないものがいいものはずではない”って考えている。神様から恵みをもらったら、自分自身も何がしなきゃと思っている。或いは”長いお祈りをしないなら、病気が治されない”ようなことを信じている。もし、キリスト教は、一部の宗教と一緒になり、”献金が多い者が救われる””長い祈りを聞かれる”となったら、キリスト教の神は本物の神ではないと思う。私が信じている神様は、人々の弱さを理解して、包容して、人と一緒にその人の弱さを乗り越えて、人々の心の最も深い場所を見える神である。私の神は”献金の数量、お祈りの長さより、心の正直を大切にしている。
キリストの信仰は、私の心を触れた理由は、私が知っている神の中に、表面的、偽善な物が一切ない。



